vol.7 自分のラーメン屋始めます。

2025年4月末日
「お父さん、来週の田植え俺も行った方がいいかな?」
「お前は走ることばかり熱心だからなぁ、子どももできたんだからしっかりやれよ。」



これが父が亡くなる前日の電話越しにした最後の会話だった。
突然の出来事で。



お母さんから
「将大、お父さんがね、死んじゃったの」
「お父さん、仕事だよって言っても起きなくて」
頭が真っ白になった。
お母さん、何言ってるの?
俺、昨日お父さんと電話してたのに、普通だったじゃん…



いつか自分のラーメン屋を開きたいと思っていた。
ラーメンを作る仕事をしてるからにはいつかは独立!と
今の時代、ラーメン企業に勤めるのは働き方的にも収入的にも正直悪くない。年収1,000万を目指せる会社も普通にあるし、そのまま定年まで勤めるのもいい選択肢だと思う。
それでも自分は、何かを自分で起こす側の人間だと思ってきた。それが性に合う。



ぼんやりといつか…いつか…と思っていた。
そのいつかは本当に来るのだろうか?



人が何かを始めるきっかけは些細なことかもしれないし、自分にとっては痛みが伴う衝撃が必要だった。








父が亡くなってからの日々は、いつか自分の人生も父のように突然終わってしまうのかもしれないと一気に不安が襲ってきた。あんなに元気に毎日働いて、身体の悪いところも無く、あと少しで定年だった父が…
死因は分からなかったが心臓系だろうと、家族全員の意向で解剖はしなかった。



それから呆然と自分が本当にやるべきことはなんなのかと自問自答の日々を過ごした。
いつか、いつかのそのいつかは来ないかもしれない。明日自分の人生が奥さんと息子を残して終わってしまうかもしれない。
「今」やらないとずっとあの時やっていればと後悔して死んでしまうかもしれないと。



父の葬儀から一週間後、空きのテナントを調べていた。
手元には全くお金が無いけど、物件を眺めれば少しはやりたいことのイメージが湧くかもしれない。
やっぱり自分は独立して店を開きたいんじゃないかと。

場所は神奈川県の伊勢原市。
僕の住んでいる大好きな町だ。
どうしても伊勢原の地で商売がしたい。
伊勢原という町はすごく栄えてる町でも無いが、学生時代からトレーニングを積んできたホームマウンテンの大山の麓、行楽シーズンには多くの登山客が来る。この町に一生住み続けたいと思い、新築の一軒家も購入した(甲斐性無しなので奥さんの名義だがw)
とにかくこの町と人が大好き。
ただ昔から長く商売をやっている人も多いためか、空きのテナントが出ることはあまり無いし、出たとしても重飲食不可の物件だ。つまりそこでラーメン屋さんは開けないってこと。


だがそんな時に駅から徒歩1分の物件がちょうどアップされていた。掲載日は昨日、嘘だろ?
スケルトンで15坪、重飲食可…ラーメン屋をやるにはちょっと広いけど問題無い。
スケルトン…施工代金いくらかかるんだろうか。

一般的に居抜き物件であれば前の調理設備や内装を引き継いで商売をすることができるため、資金をある程度抑えて開業することができる。
それに比べてスケルトン物件は文字通り何も無いところからお店を作るため、施工代金が格段に違う。レイアウトや内装に関しては自由に作ることができるが、費用の面が大きな障害になる。
大きさにもよるが一般的な居抜き物件なら1000万前後で開業できるところが、スケルトン物件だと2000万~4000万ぐらいかかる。しかも一般的な個人店(チェーン店でない、店主ひとりで営業しているようなお店)は10坪ぐらいなのに対して、15坪は少し広いし施工代金も高くなる。

おいおい、やれんのか…
駅徒歩1分、人通りもそれなりにある、

でもこのタイミングで出たのも縁なのかもしれない。
今やらなかったらいつやる?
5年後?本当にお金貯まってるのか?
仮にお金があったとしても、伊勢原に物件が出る保証は?
お客さんがこなかったらどうする。
奥さん、子ども、住宅ローン。
売上が立たなかったら家族が路頭に迷う。
借金だけを必死に返す人生になるかもしれない。

目を瞑って父の顔を思い浮かべた。
お母さんが言っていた。
「お父さんね、あと少しで定年だから。そしたらこれまで頑張って働いた分、美味しいもの沢山食べて楽しく余生を過ごすんだって」
目を開ける。
お父さんが生きたかった明日を俺は今、生きている。



不動産屋さんに電話をかけていた。
「ここの伊勢原の物件、明日見させてもらえませんか?」



次の日、不動産屋さんと一緒に該当の物件を見に行った。



「ここだよ」
シャッターを開けると本当にただのコンクリートの打ちっぱなしの空間が広がっていた。15坪、広いな。
前の道を眺める。


「北口は駅前の都市開発で来年から横の建物まで取り壊し。ここは残るよ」
そっかぁ、そうしたらもっと人通りは増えるかもしれない。

コンクリートの空間にお店ができるイメージは掴めなかった。
だけど目の前の白線にお客さんが並ぶイメージははっきりと想像できた。



「前向きに考えさせてください。また連絡します。」



そこからどれぐらいお金がかかるのか、とにかく自分が分かる範囲で調べ尽くした。
物件取得費、施工代金、厨房機器、店を開けるまでの家賃から運転資金まで。自分にとっては途方も無い金額になった。正直、考えていた1.5倍ぐらいの金額である(さらに増えることになるが…)

調べていく中で、
本当にそんなリスクを背負ってまでやりたいのか?
サラリーマンでも十分食べていけるじゃないか。
今お金が無い中でやる意味があるのか。

何度も自分に問いかけては、
「じゃあお前はいつやる?」
「逆にそんな問題も跳ね返せない下積みをしてきたのか?」
と。



自分をよく知る人から最近言われる。
「名取はラーメンに関してはマジだから」

そうだ、俺はラーメンでメシを食ってきた。
その道において独立してないならプロでないにしても、常にプロフェッショナリズムを持って仕事をしてきた。
これで奥さんと息子を食べさせているんだと。

ラーメン屋の仕事は多岐に渡る。

美味しく作る技術
美味しく魅せる技術
美味しい商品を考案する力
ラーメンを売るブランディングからマーケティング
集客の戦略、立地選び
人のマネジメント
店舗全体の数値管理、経営学

ラーメン屋になってから今まで以上にラーメンが好きになった。
偉大な先人の背中に憧れて、いつかは自分も!と毎日必死に修行してきた。ラーメンを作るだけじゃない。どうお客様と接したら喜んでもらえるか。もっと美味しくなる術はないか。自分が担当していた複数店舗の数字をパソコンとにらめっこして、この数字を上げるには、抑えるには、どうしたらいいか。
仕事に思い悩んで夜眠れない日もあった。
まさにライフイズワーク。
しんどい日々の中でもどこか楽しんでいる自分がいて。
世の中にはどれほどの人間が「天職」と思える仕事と出会えるだろう?
まさに自分はこの仕事こそが天職だと確信していた。

そう思える程、ラーメンに関してはマジでガチなのだ。
真剣に全力で、それはいつか自分のお店を開く為だった。




自分にもし恵まれていることがあるとするなら、困った時に相談できる人、助けてくれる仲間がいるということだ。僕ひとりでは解決できなくても手を貸してくれる人がいることは、ありがたく奇跡に近い。


自分の信頼できる人、無題のなんちゃらキャストのあのお方、キョウヘイさんに真っ先に相談した。ビジネス、お金の運用、資金調達の分野で僕の知りうる限りスペシャリストである。多少口が悪かったり、人によっては好き嫌いもあるかもしれないが、僕から見たキョウヘイさんはいい意味でウラオモテの無い尊敬する方だ。大人になるにつれて思ったことが言いづらくなる世の中に唾を吐き続ける姿勢(いい意味で)は僕も見習いたい。


「ふーん、いやまず銀行だろ」
「そこで借りられなければその程度」
「親の相続でもなんでも使えるものは全部使えよ」

頭をフライパンでぶん殴られたような衝撃だった。たしかにそうだ!!



「お前、これに懸けてるんだろ?」



そうです!!!
僕はこれにフルベットです!!!


やっぱりキョウヘイさんは信頼のおけるアニキでした。
色々言われることもあるけど、俺はやっぱり好き。好きと言うより憎めない人。それがキョウヘイさんの魅力です。



キョウヘイさんと話したその足で銀行に話を持っていった。


一度でもちろんすんなり通るわけはなく。

今までの経験や細かい収支計画、集客戦略、なぜ今、この場所でやるのかという思いを全て事業計画書に詰め込んで何度もプレゼンした。
こっちは本当にちっぽけな資金で、自己資金に対して約10倍の資金調達をしようと銀行の融資担当者の方に頑張ってプレゼンした。俺にはこれしかないんですと!! 

来る日も来る日も…

銀行に行く前には必ず半沢直樹を見て、
「今日も半沢直樹見てきましたよー!!」
とアイスブレイク?してからプレゼンしてました。笑

それから、1ヶ月、2ヶ月が経ち、物件の大家さんにも必死に頭を下げて、必ず融資勝ち取りますのでもう少しだけ契約待ってください!と話して祈る日々だった。
やるべきことはやったのだ。

その間にも今いる会社から
「名取くん、次は重要なポジションで仕事をしてもらうことになるから、会社に残ることはチャンスだよ」
「うちの会社は必ず大きくなる、この船に乗っていた方がいいんじゃない?」
とありがたい話もいただいていた。

んなこと分かってますよ!
でも俺はもうこれに懸けてるんです。

一方、他の上司からは
「これまで何人も名取くんみたいな人見てきたけど、まず融資絶対通らないから。」
「今の時代、個人店はかなり厳しいよ。」
舐めやがって!!クソがっ!
今まで反骨心で成り上がるぞって生きてきたんだよ。
口は悪いかもしれないが、一緒にしないでくれと、僕は他とは違うんですと心で思いながら、
「そうっすよねぇ、厳しいですよねぇ」
「でも融資通ったら辞めるんで!」
ときっぱり言いきった。



融資担当者の方から
「名取さん、一応保険で事業用ローン申し込んでみましょうか?」
と提案があった。



ぜんぜん保険じゃないから!!
あっさり即日落ちてその日の午後にダメでしたと連絡がきた。

僕は本来どうしようも無い人間なのだ。
個人のクレジットが全く無い。
ブラックリストの人間だ。
ローンやクレジットカードも作れない、住宅ローンも奥さん名義とはそういうことだ。


だから事業用の融資しか道は無かった。
もし信じてもらえるものがあるとするなら、この7年間ひたむきに仕事とラーメンに向き合ってきた経験と、すべてを込めた事業計画書しかない。

毎日銀行からの着信を待って祈り続けた。




そして7月末のある日。




銀行さんから
「名取さん、やりましたよ、融資通りました!」
職場のトイレの中でガッツポーズをした。
くぅ!!
やるじゃないですか、直樹ー!(※違う)
やっとスタートラインに立った。


お父さん、俺自分の店出すよ。
これでまたひとつ夢が叶っちゃうよ。
見せたかったなぁ…


まだ始まったばかり、これから沢山の壁がさらに待ち受けている。


それでも
ここから自分の第二の人生が幕を開けたような気がした。
数日後、今まで見たこと無いようなお金が通帳に記されていた。本当に通ったんだ…

奥さんもびっくりしていた。
「え、本当に通ったの??」
落ちると思っていたらしい。笑


まだこれはプロローグ。
これからまたオープンまでの日々をリアルタイムで楽しんでもらいたいです。


そしてそんな僕が想いを込めて作るラーメンを、一人でも多くの人に味わってもらいたいです。


さて、久しぶり(約2年)にブログ更新しました!
また定期的に更新しますのでウォッチお願いしますぅ
ではまた。

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